東京地方裁判所 昭和28年(刑わ)2905号 判決 1956年5月14日
本籍 東京都杉並区阿佐ヶ谷三丁目二百五十七番地
住居 同 都練馬区貫井町六百二十五番地
東京都立大学教授 阿部行蔵
明治四十年二月二十五日生
本籍 金沢市片町七十二番地
住居 東京都目黒区富士見台千五百三十三番地
日本国民救援会 常任理事 小松勝子
大正二年五月三日生
右被告人両名に対する逮捕監禁被告事件につき当裁判所は検察官天野健夫出席のうえ審理して次のとおり判決する
主文
被告人 小松勝子に対し刑を免除する
被告人 阿部行蔵は無罪
理由
(本件公訴事実の要旨)
本件公訴事実の要旨は、被告人両名は江戸千代士等十数名と共謀のうえ、昭和二十八年五月十七日午後九時三十分頃舞鶴市字平所在の舞鶴引揚援護局第二寮二階第二区室において開催された第三次興安丸帰国者大会の席上同局職員中島輝子(当二十六年)が不当に大会内容を聴取して筆記したものとなし、その理由を究明するためと称して同女の右腕を捉え、その身体の自由を拘束して不法に逮捕したうえ、右会場の隣室である食堂に連行し、右同時刻頃より翌十八日午前二時頃までの間右食堂及び同寮階下第六区室内において夫々右各室の出入口及び同女の身辺に監視者を附し同女を強いて右各室内に抑留し、以て同女を不法に監禁したものであると謂うのである。よつて右公訴事実を検討するため、以下被告人両名の経歴、在華同胞の帰国問題に対する活動の状況及び本件発生の経緯等につき審按することとする。
(被告人両名の経歴及び在華同胞の帰国問題に対する協力の経過)
被告人阿部行蔵は東京都新宿区四谷所在四谷教会の牧師の職に在り、併せて東京都立大学人文学教授として現代史を専攻していたもの、被告人小松勝子は日本国民救援会の常任理事の職にあつたものであるが、被告人両名は昭和二十七年十二月一日北京放送が、中華人民共和国政府の意向に基いてなした発表によつて俄かに活溌となつた中国大陸からの日本人の集団引揚問題の処理について、いずれも民間人として尽力して来たものであつた。抑々中国大陸からの日本人の集団引揚は終戦直後直ちに開始されたのであつたが、同大陸内における戦乱によつて、中断されたまま日本国民の熱望にも拘らず、中華人民共和国(以下単に中国と略称する)の成立後も依然として再開されなかつた。諸種の国際情勢からわが国と同国との国交が開かれないことが、その最大の原因であつたが、次第に日本赤十字社その他の民間団体又は民間人による同国への呼びかけないし接触が行われるようになつて、右の北京放送は遂に日本人民に宛て、中国政府は日本人居留民の帰国を援助しその業務を中国紅十字会に委託する旨、又その交渉を行うため、わが国の適当な機関又は民間団体の代表者の中国派遣方を希望する旨の中国政府の意向を伝えたが、その後中国紅十字会は右交渉の相手方として日本赤十社、日中友交協会、アジヤ太平洋地域日本平和連絡会(以下単に日本平和連絡会と略称する)の代表者及び参議院議員高良とみを指定して来たため、右三団体は直ちに連絡事務局を設けて日本政府との連絡に当らせ、同議院とも協議して代表者七名、随員六名よりなる代表団を編成し北京に赴いて交渉の末昭和二十八年三月五日協定が成立し、中国における日本人居留民の集団帰国として同月二十日から引揚が再開されることとなつた。ところが、右協定によれば帰国者引取りのため中国に派遣される船舶には右三団体の代表者の乗船が要求されたのに、日本政府職員の乗組は許されていなかつたので、日本政府当局は中国からの帰国者引取りについて表面上全く疎外されたばかりか、船内における入国及び帰郷に関する諸手続の施行も不可能となり、右協定に対して甚だしい不満を抱いたものの、已むなく従前からの引揚者受入事務の処理方法に従い、配船の準備を行い、舞鶴引揚援護局(以下単に援護局と略称する)をして受入手続を行わせることとしたが、右の事情に鑑み、三団体の業務は帰国船の舞鶴入港によつて終了すると解し、その後は政府の引揚業務に引継がれるとの方針を定め、援護局内に三団体連絡事務所を設置することを認めないばかりか帰国船に乗船した三団体代表者が舞鶴に上陸した後同局内に留まり、又は宿泊することも許さないこととしていた。三団体のうち日本赤十字社は政府の右の方針に従つたが、他の二団体は帰国者が帰郷のため舞鶴を出発するまで引継き独自の援護活動を行う権限があるのみならず、従来米国占領軍によつて行われた帰国者に対する思想調査及び中国軍事情報の調査が、日本政府当局によつて受継がれる虞があるとし、これを阻止して帰国者の人権を擁護し、又中国の好意に応ずるためにも右援護活動の必要があると主張し、帰国船入港後も援護局内に留つて諸般の活動を続けるのは勿論、東京又は舞鶴において屡々政府当局に対し右の思想調査、軍事情報調査を行わないよう申入れ、折衝を重ねていた。ところが同年五月七日頃第三次帰国船として中国上海港に配船された白竜丸乗組員が同船所属会社から受けた業務命令中に、中国の政治情勢の探知を命ずる事項を含むことが中国官憲に発見され、スパイ容疑で一時抑留される事件が生じたため、前記二団体はこれを政府の責任として追及すると共に、その後は援護局が帰国者の入国手続や援護事務の必要から帰国者に対して行う各種の書類の提出要求に対しても反対の態度を採る程となつた。被告人阿部は前記職務に従事するかたわら、かねてから日本平和連絡会に属し、同会から派遣されて前記三団体連絡事務局の事務を担当し、その後帰国業務の援助を目的として組織された在華同胞帰国協力会の総務局長の地位をも兼ね、又被告人小松も日本国民救援会より派遣されて右帰国協力会の事務に参画し、なお日本平和連絡会の会員でもあつたので、いずれも前記二団体の方針に従い、活溌な活動を続けていた。
(本件事件発生の経緯)
被告人阿部、同小松両名は在華同胞帰国協力会及び日本平和連絡会の派遣員として、昭和二十八年五月十五日舞鶴に入港した第三次帰国船興安丸乗船の帰国者千九百十八名を出迎えるため、その頃舞鶴市大字中田(通称平)所在の舞鶴引揚援護局に赴き、帰国者の上陸した後も同局内に留り、被告人阿部は帰国者代表が帰国者の政府に対する要望を援護局次長と交渉するに当つてその仲介の労を取り、又被告人小松は第四次帰国船に乗船するための打合せをするかたわら主として婦人帰国者の生活問題について相談に応ずる等の活動を続けていたが、同月十七日午後七時から開催予定の帰国者大会に来賓として招待されていた。同大会は帰国者の政府に対する要望につき帰国者代表が行つた交渉の経過報告、帰国者の当面する生活上の諸問題の討議を目的とし、同日午後七時三十分頃から援護局第二寮二階二区室において帰国者約七百名が参加し、被告人両名、興安丸乗船の日赤を除く二団体の代表者、その他数名の民間団体からの来賓も出席して公開のまま開始され、司会者の挨拶の後被告人阿部が日本の現状についてと題して講演を行い、次いで帰国者総代表今野一男の右要望についての交渉経過報告に移つたが、間もなく午後八時三十分頃帰国者等の要望により司会者は大会を非公開で行うことを宣言し帰国者及び来賓以外の者の退場を求めたので傍聴していた援護局々員十数名は会場を立去つた。ところが、当時満蒙同胞援護会に属し、同会の推薦に基き援護局非常勤職員に採用されて同局相談室に勤務していた中島輝子(当時二十六年)は同大会場西北側畳上に座つたまま退場しないでいるうち、帰国者の一人に発見され、附近の帰国者数名に取囲まれて、身分や退場しない理由を詰問されたが、その場を逃げ出そうとしたため同人等によつて捕えられ、更に背後から押されながら裸足のまま同会場中央廊下東側の演壇前に突き出された。大会々衆はこのため殆んど総立ちとなり同女周辺に詰め寄つたが、その間帰国者の中から同女が同夜会場でメモを取つていたこと、又同女が屡々援護局員を表示する腕章をして同局内を徘徊し、時には寮内で帰国者の談話を筆記していたこと等の発言がなされたため会衆は次第に同女の身分、行動等に疑惑を深め騒然となつた。そこで司会者、総代表等も中島にその姓名、身分、退場しなかつた理由等を尋ね、メモした用紙の提出を求めたのに、同女はこれに全く返答せず、ズボンポケツトに両手を入れ紙片を揉み破るような仕草を続け、再三要求された末漸く紙片、メモ帖等を取り出したが、その頃被告人小松は演壇北側から中島の傍に進み、帰国者の誤解を解くよう同女に話しかけたうえ、同女の上衣、ズボンのポケツトを調べ、ズボンポケツトから腕章、紙片、風船等を引出した。これらは司会者等によつてその場で読み上げられ、又示されたりしたが、右のメモ帖、紙片には被告人阿部の講演や総代表の報告内容の一部が記入されていたばかりか、中国に抑留されている戦犯者或いは帰国を延期された者の氏名等を調査したと認められる種々の記載があり、又腕章は援護局職員であることを表示するものであつたために、前記所謂白竜丸事件の発生によつて官憲による思想調査、中国軍事情報調査を極端に嫌悪、警戒し、政府に対する要望事項中に特に一項を設けこれら調査を行わないよう強く望んでいた大会帰国者は中島が政府当局の命を受けて大会に潜入し帰国者の思想ないし動静を探査していた者と確信して激昂し同女を徹底的に調査すべきであるとして大会の続行は不可能となつた。しかし帰郷を翌日に控え大会本来の目的である当面の諸問題についての討議を続けたいとの希望や中島に対する調査は小数の者を選んで別室で行わせた方がよいとの意見が出て大会の議に付せられ、被告人両名を含む来賓の同意を得て結局中島に対する調査は大会場東側に隣接する食堂において帰国者の代表約十名及び被告人両名並びに乗船代表の江戸千代士、芳賀沼忠三等によつて行うことに決定された。この間中島は演壇北側の被告人阿部等来賓の席附近に移動させられ、芳賀沼忠三等によつて二、三質問を受けたが、右大会の決議に引続き、被告人阿部は演壇に立つて、官憲の逸脱行為に対し帰国者の注意を促す趣旨の発言をなした後、折柄演壇後方に出て靴を履き終つた中島を促して食堂に導き、同室南西隅近くの長机を前に中島と並んで腰掛け、他の調査員もこれを取囲むように席を占め、午後九時過頃から同女に対し氏名、住居、年令、経歴、身分大会に潜入した理由及びメモ帖に記載された事項の内容、これを筆記した理由等について交々尋問を開始した。被告人阿部はその後一時中座して援護局庁舎総務部総務課室に赴き庶務係長吉岡幸成に依頼して同局次長宇野末次郎を電話で呼出し、急遽登庁を促し再び中島の調査に加わつたが、事態の意外な推移に驚愕し、自己及び父の身分職業に及ぼす影響を虞れた中島は調査員の質問に容易に答えず、種々説得された末、氏名、住所等を述べたほかは殆んど黙り込んでいたため、午後十時頃同局業務部長補佐押田敏一が帰国者大会の異常な動きに不審を抱き状況を確かめようとして総代表今野一男に面会を求め、食堂東側出入口に立つていた帰国者の誰何を受けながら食堂に入つた際も、又午後十時三十分頃前記吉岡庶務係長が宇野次長の登庁を知らせようとして被告人阿部に面会を求め同様帰国者に誰何されながら食堂東側出入口から同室に入つた際も、中島が非公開を宣せられた後も大会場に残留し、且つメモを取つていた理由を同女から聞くことができなかつたので、被告人阿部はその都度もう暫く調査したい旨を告げて同人等を食堂から引取らせ、調査員等はなおも中島に対する質問を続けた。しかし中島の態度は依然として変らず午後十二時を過ぎてしまつたので、被告人阿部は同女に腕時計を示し、肩を叩いて元気付けながら繰返し説得した結果漸く援護局相談室勤務の同僚である非常勤職員藤崎竜円に依頼され大会場に潜入した旨を述べるに至つたが、大会場以外の場所で記入したと認められる戦犯者の調査等に関するメモについてはやはり黙り続けていた。しかしその頃隣室における大会は中島に対する調査及び今後の援後局との折衝は調査員に一任すると決議して解散しその旨の連絡もあつたので被告人阿部は間もなく中島の調査を打切ろうと発言し他の調査員もこれに同意して調査は中止されることとなつた。そこで総代表今野一男、乗船代表江戸千代士、被告人小松は宇野次長に対し中島の問題について経過を報告し併せて帰国者以外の者の援護局内での宿泊を交渉する目的で庁舎次長室に赴いたが、次長に対しては中島の氏名を出さず、単に援護局職員が帰国者大会の席上でメモをし発見されたことだけを簡単に述べ、詳細は翌朝十時からの折衝に譲ることとして次長の諒解を得、又被告人両名、乗船代表者等を局内宿直室に宿泊させて貰いたい旨申し出たが次長は規則に従つて許可できないとしこれを拒絶した。ところが被告人小松等はその席に立会つた吉岡庶務係長の言葉を誤解し宿泊について暗黙の諒解がついたものと誤信し、被告人小松は他の二名より一足先に食堂に戻り宿直室に宿泊を許されたと報告した。そこで食堂にいた調査員は解散し被告人阿部も庁舎二階宿直室に赴こうと考えて直ちに食堂を立去り用便のため第二寮西端の便所に向つたが、途中江戸千代士に会い、次長の乗用自動車に便乗して旅館に帰ろうと誘われたのでこれに同意し十八日午前一時過頃連れ立つて庁舎西端出入口に到り折柄階上から降りて来た宇野次長及び吉岡庶務係長に頼み芳賀沼忠三他一名と共に次長の車に同乗し舞鶴市内の旅館に帰つて仕舞つた。
(罪となるべき事実)
前示のとおり五月十八日午前一時頃食堂における調査員は解散したのであるが、その後も中島は暫く数名の帰国者と共に食堂に残されていたところ、被告人小松、総代表今野一男は中島を宿直室に宿泊させることについて吉岡庶務係長から明確な承認を得たわけではなく、又帰国者の中から翌朝の援護局との折衝に中島を立会わせたいとの意見も出たため、第二寮階下六区室附近で帰国者数名及び下山和子と共謀のうえ中島を右六区室の帰国者宿泊所に宿泊させ翌朝まで引続き抑留しようと考え、午後一時過頃被告人小松は中島の手を引き、帰国者数名及び下山和子がこれを取囲むようにし、第二寮中央階段を通つて同女を階下六区室内に連れ込んだが、同室の板敷中央廊下を挾んで両側に敷いてある各百畳位の畳上には多数の帰国者が就寝していたので同室西側出入口に寄つた南側畳上に毛布を敷き同女を同所に寝かせようとしたが、同女がこれに応ぜず、中央廊下と畳敷との間の踏み板に腰掛けたのでそのまま放置し、被告人小松、下山和子がその後方に横になり、北側畳上には帰国者数名が座つて同女を監視し、なお同女が間もなく東側便所に赴こうとした際にも被告人小松及び帰国者の一人がその両腕を取つて誘導する等し、午前二時頃中島を捜し求めて同室に入つて来た同局相談室勤務非常勤職員木下清一、給養課長石黒尚、同課員平岸隆が中島を発見し庁舎に連れ帰るため同女の腕を抱えるまで、同女を抑留して監禁したものである。
(証拠の説明)
右の事実は
被告人両名の経歴及び在華同胞の帰国問題に対する協力の経過についての事実につき
一、被告人両名の当公廷における各供述
一、証人畑中政春、同島津忠承、同葛西嘉賀(第一、二回)、同加島敏雄、同一色正雄の当公廷における各供述
本件事件発生の経緯及び罪となるべき事実につき
一、被告人両名の当公廷における各供述
一、第四回公判調書中証人宇野末次郎の供述記載部分
一、証人中島輝子に対する証人尋問調書(第一、二回)
一、証人押田敏一、同木下清一に対する各証人尋問調書
一、証人中島輝子の第六回、第八回、第二十五回、第二十六回、第二十九回、第三十回公判廷における各供述
一、証人押田敏一、同木下清一、同津島一江、同石黒尚、同吉岡幸成、同井上慶治、同平岸隆、同藤崎竜円、同一色正雄、同栃尾清一の当公廷における各供述
一、証人高橋善之助、同坂本隆太郎、同宮川恭子、同今野一男、同副島富士枝、同阿部穆、同宮川純、同江戸千代士、同芳賀沼忠三、同下山和子、同西崎利夫の当公廷における各供述
一、第三次興安丸帰国者一同作成名義の要求書の写
一、当裁判所のなした検証調書
一、押収してある藁半紙四ツ切大紙片二枚(昭和三十年証第七七五号の五、六)、同紙片十四枚よりなるメモ帳一冊(同号の七)
一、被告人阿部の検察官に対する昭和二十九年十一月七日附同月十日附各供述調書(被告人阿部の関係につき)
をそれぞれ綜合してこれを認めるが、特に争となつた次の諸点につき考察すると
一、当夜帰国者大会の席上中島輝子が帰国者の一人によつて発見されてから演壇前で司会者の質問を受けメモ帳を取り出すまでの経過の点については、被告人阿部の当公廷の供述、前記証人中島輝子に対する証人尋問調書(第一回)、同証人(第六回、第八回公判廷)及び証人高橋善之助、同坂本隆太郎、同宮川恭子、同今野一男、同副島富士枝の当公廷の各供述(以下単に供述、尋問調書、証言と略記する)並びに前記押収してある紙片・メモ帳を綜合してこれを認める。弁護人申請の証人はいずれも中島輝子が帰国者数名によつて捕えられ、背後から押されながら演壇前に突き出された事実を否定し、同女が一人で自発的に、或は単に帰国者に取囲まれただけで演壇前に進み出た趣旨の供述をするけれども、証人高橋善之助は中島が発見された後同女の居た附近から「かんにんして」という声が聞かれた旨証言し、証人宮川恭子の証言中にも中島は帰国者数名によつて演壇前に連れて行かれた旨の表現が見られる上に、被告人阿部の供述によつても、その際数名の帰国者が中島を取囲み、一、二の者が同女の身体を押しながら連れて来たが、中島は裸足のままであつたというのであるから当夜中島が任意に自発的に演壇前に進み出たものとは認めることはできない。
次に弁護人等は、証人中島輝子の証言は動揺が甚だしく又不当に証言を回避する部分が多いばかりか、同女は被害者、告訴人の地位にあり、本来所謂スパイ行為を行う程の者であるから、全く信憑性がないと主張する。そして同証人の証言が、公判審理の冒頭とその後半におけるとでは、供述内容に若干の喰い違いが認められ、又弁護人、被告人の質問に対し記憶していない旨の答が審理の後半に特に多いことは所論のとおりであるけれども、右の動揺は二年余の長期の審理中八回に亘つて尋問を受けた結果、その間次第に記憶に混乱を生じたものと解せられ、しかも本件事実関係の重要部分についての証言には終始変更がないのである。のみならず判示の如く同女の当夜の行動が帰国者等に深い疑惑を持たせるに十分であつたとしても結局同女が所謂スパイであつたことは証明されない(帰国者及び被告人両名が大会場において同女を所謂官憲のスパイと信じたことに過失がないことは後記認定のとおりである)のであるから、同女が被害者告訴人であることによつてその証言に誇張した表現が混入する虞れがあることについては十分検討を要すべきであり、従つて具体的事項につきその都度その証明力を吟味すべきは当然であるけれども、その証言につき全く信憑性がないとすることはできない。
一、被告人小松が大会場演壇前で中島輝子の上衣、ズボンのポケツトを調べ、ズボンポケツトから腕章その他のものを引き出したとの点は
証人中島輝子の尋問調書(第一回)、同証人(第二十六回公判廷)の証人栃尾清一の各証言によつてこれを認める。被告人両名及び弁護人申請の各証人はいずれもその事実を否定する供述をするけれども、被告人阿部の関係において同人の検察官に対する前掲各供述調書中には右事実についての比較的詳細な供述記載があり、又被告人両名の関係において、証人高橋善之助、同宮川恭子、同副島富士枝、同宮川純の各証言によれば、中島輝子が演壇前に出された後会衆は激昂し身体検査をしろとの声が聞かれ、又同性である被告人小松にそれをさせろとの発言もあつたことが認められ、かかる状況の下で被告人小松が中島の傍に進み出たものであること及び証人菊地一郎の証言中誰が出したか判らないが、中島のポケツトから腕章を取り出した旨の供述を併せ考えれば、証人中島輝子の尋問調書、同証人及び証人栃尾清一の証言中、被告人小松が中島の上衣ズボンを調べ、ズボンポケツトから腕章を引き出した旨の供述部分は措信するに足りるのである。
弁護人は証人栃尾清一の証言につき同証人(イ)が第三次興安丸帰国者総代表を知らないこと、(ロ)中島の発見された時期を明らかに誤る等記憶が不正確なこと、(ハ)会場で中島の身分につき釈明したと虚偽の事実を述べていること、(ニ)被告人、弁護人の反対尋問に不当に敵意を示すこと等を挙げ全く信憑性がないと主張するけれども、(イ)の点は総代表を当日司会者席にいた副代表青木某と錯覚して記憶し、しかも政府との交渉経過を報告した者の氏名を忘失したためであつて、その原因としては同証人が供述する如く、乗船中も同証人が病室に居て今野との折触がなかつたためと推認されるばかりか、弁護人申請の他の証人中にも自己の属する組の組長の氏名すら記憶しない者もあり、これらの記憶の誤りは必ずしも不合理ではなく、(ロ)の点は明白な記憶の誤りと認められるが、証人芳賀沼忠三も全く同様の供述をなし、又被告人阿部の検察官に対する十一月七日附供述調書にも同趣旨の記載があり(同被告人は同月十日附供述調書で訂正している)、いずれも十分記憶を整理しない状態でなされた供述(又は供述記載)であることが窺われ、証人栃尾清一の証言もその供述から明らかな如く同様の状況でなされたと認められるから、これを以て同証人の証言を全て信憑性なし、とすることはできない。(ハ)の点は中島輝子自身もこれを記憶していないのであるが、当時の混乱した状況にも拘らず、証人高橋善之助、同阿部穆は大会場で右栃尾の証言に一部相応する趣旨の発言のあつた旨を供述するから証人栃尾清一のその点の証言は寧ろ真実に合致するものと認められ、又(ホ)の点は証人が自己の証言の信憑性を弾劾し、攻撃的な質問をなす反対尋問者に敵意を示すことは必ずしも珍しい事例ではなく、反対尋問が予期の効果を挙げなかつたことを以て、その証人の証言に信憑性がないとすることはできない。従つて証人栃尾清一の証言についても具体的事項についてその都度真実性を吟味すべきであり一概にこれを虚偽とすることはできない。
又弁護人は被告人阿部に対する検察官の供述調書は同被告人が不当な逮捕、勾留をうけ精神的・動揺の甚しい状態にあつた際作成されたものであるから任意性がない旨主張するけれども、被告人阿部は検察官による任意捜査のための数回に亘る呼出に対し出頭しなかつたため遂に逮捕状により逮捕され引続き勾留されたものであることは、被告人阿部の当公廷の供述によつて明白であり、本件公判審理の過程で窺われる捜査経過及び判示のような本件事件当時の被告人阿部の行動に照し考えれば右逮捕勾留の手続を違法と認めえないばかりか、同被告人の経歴、地位、身分、性格等に徴し右の抑留により同被告人が検察官の取調に対し任意の供述をなし得ない程度の精神的、肉体的影響を受けたとは到底認められない。のみならず同被告人の当公廷における供述によつて明らかな如く同被告人は本件につき帰国者に累の及ぶことを虞れこれを庇護するため恰も自分がなした行為として進んで虚偽の供述をしたと認められる記載部分も少くないのであるから、各具体的事項につきその都度証明力の検討を要することは謂うまでもないところであるが、その供述が任意性を欠き証拠能力を有しないとすることはできない。
一、中島輝子が大会の決議により隣室食堂における調査に委ねられる前、演壇北側の来賓席の前に移され芳賀沼忠三等から一、二尋ねられたとの点は
証人中島輝子の尋問調書(第一回)、同証人(第八回公判廷)及び証人栃尾清一、同芳賀沼忠三の各証言によつてこれを認める。被告人両名及び弁護人申請の各証人(但し芳賀沼忠三を除く)はいずれも右の事実を否定するが、証人副島富士枝、同阿部穆の証言によれば、大会場においては中島に対する調査の方法につき大会場で行うか、代表に一任すべきかで意見が分れたことが明らかであり、被告人阿部の供述、証人今野一男、同下山和子の各証言によれば、右の調査方法が決定され場内整理が行われる間、中島は演壇左側に移動していたこと、来賓等は演壇北側に席を占めていたことを認め得るばかりか、証人芳賀沼忠三はその席で自分及びその他の来賓が中島を取調べた旨供述するのであるから、証人中島輝子の尋問調書、同証人及び証人栃尾清一の各証言中この点に関する部分は信を措くに足りる。
一、被告人阿部が前記大会の決議の後、演壇に立つて発言し引続き中島輝子を促して隣室食堂に導いたとの点は
被告人阿部、証人宮川恭子、同今野一男、同副島富士枝の被告人阿部が判示の如き趣旨の発言をした旨の供述及び証人中島輝子の尋問調書、同証人(第八回公判廷)及び証人栃尾清一の供述を綜合してこれを認める。被告人阿部は、右の発言は中島が単身で隣室に赴いた後、会場に残つてこれを行つたものである旨供述し、弁護人申請の各証人もこれに添う供述をするけれども、被告人阿部の検察官に対する前記十一月七日附同月十日附、各供述調書には同被告人が中島の肩を叩いて促し、隣室に導いた旨の供述記載が認められ、そして前述の如く被告人阿部が右の発言をしているのであるからその時期は同被告人が中島と共に隣室に赴く前であつたと認めるのが相当である。
一、食堂における中島に対する調査が打切られ被告人阿部が旅館に帰るに至るまでの経緯の点は
被告人阿部、同小松の各供述、証人中島輝子の尋問調書(第一回)、証人宇野末次郎の供述記載、証人吉岡幸成、同今野一男、同江戸千代士の各供述を綜合してこれを認める。被告人阿部、証人江戸千代士は中島に対する調査が打切られた事情について、それが特定の者の意見によるものではなく、その場の成り行きから自然そのように決つた旨供述し、同証言によつて明らかな如く当時大会が終了し時刻も遅かつた事情を考えれば、調査の打切は調査員全員の一致した意見であつたとは認められるけれども、証人中島輝子の尋問調書、被告人阿部の供述により認められる如く、その頃被告人阿部が中島を説得しながら質問していたことを併せ考えれば、証人中島輝子の尋問調書中の記載のとおり同被告人が最初にこれを発言したと認めるのが相当である。又被告人小松は単身で、宿舎の交渉のみを目的として吉岡庶務係長のもとに赴いた旨供述するけれども、前掲証人宇野末次郎、同吉岡幸成、同今野一男、同江戸千代士の各証言と対比すれば記憶の混乱があると認められ到底採用できない。ただ証人今野一男の証言中、同人等が次長室に赴いた時期は大会及び調査の終了する前である旨の供述は判示の如き次長室に赴いた目的に照しても寧ろ不合理であり採用しない。又証人江戸千代士は宇野次長に対し中島の問題についての概要を説明した旨供述するけれども、証人今野一男は後述の宿舎の件にのみ重点をおいたため、中島の問題には余り触れなかつた旨供述し、又証人宇野末次郎の供述記載から明らかな如く、仮に中島輝子がなお食堂に残留し、当夜寮内に宿泊せしめることにまで話が及んだとすれば、同次長等はその救出のための手段を尽したであろうと解せられるから証人宇野末次郎の供述記載、同吉岡幸成の証言を綜合し結局次長室においては中島輝子の氏名が出されず、同女の問題については簡単な報告と、翌日の交渉についての話し合いがあつたに過ぎず、従つて宿舎の交渉についても中島の宿泊に関しては打ち合せがなく、被告人両名等来賓の宿泊についてのみ折衝が行われたものと解するのが相当である。被告人小松、証人今野一男、同江戸千代士は中島輝子を寮内に宿泊させ又来賓を庁舎宿直室に宿泊させることに次長及び吉岡庶務係長の諒解を得た旨供述し、証人木下清一の尋問調書、同証人及び証人今野一男の証言によれば、当夜午前二時頃被告人小松、今野一男は被告人阿部が庁舎宿直室に宿泊していると考えていたことが明らかであり、従て被告人小松等が前記次長との交渉によつて被告人阿部、江戸千代士等が宿直室に宿泊することにつき次長の諒解があつたと信じていたことを推認できるから、右の諒解のあつたことを否定する前記証人宇野末次郎の供述記載、証人吉岡幸成の証言と併せ考えれば被告人小松、今野一男、江戸千代士と宇野次長、吉岡庶務係長との交渉の過程で何等かの誤解が生じたものと認められるところ、証人吉岡幸成は、今野等に対しては自動車を手配するからと告げて申出を断つた旨供述し、他方証人江戸千代士は、右宿泊についての交渉の際吉岡庶務係長は何とかしなければならないといつた旨を供述するから、吉岡庶務係長が自動車の手配を考えて何とかしなければならないと語つたのを被告人小松等が宿舎について暗黙の諒解に達したものと誤解したとも認められ、従つて被告人小松が食堂において被告人阿部等に対し宿直室における宿泊が許可されたと告げた旨の被告人両名の供述も亦信用するに足り以上の認定に基き次長室における交渉の経過は判示の如く認定するのが相当である。次に被告人阿部は、宇野次長の乗用自動車に便乗するに至つた事情につき、同被告人が庁舎宿直室に赴く考えで庁舎西端出入口に来た際、江戸千代士、今野一男に出会い、江戸から誘われて同乗する考えに変つた旨供述するけれども、今野一男が当夜被告人阿部の旅館に帰つたことを知らなかつたことは前述のとおりであり、又証人江戸千代士、同今野一男の証言によれば同人等は次長室における交渉の後一旦食堂に帰つたことが認められるから、被告人阿部が江戸千代士から便乗を誘われた地点は証人江戸千代士の供述のとおり食堂を出て間もなくの場所と解せざるを得ない。又被告人阿部は庁舎西端出入口で宇野次長に対し、詳細は江戸千代士から話したとおりである旨及び被告人小松、中島輝子の寮内宿泊についての配慮に感謝する旨を述べたと供述し、証人江戸千代士もこれに添う供述をなし、証人宇野末次郎、同吉岡幸成はこれを否定するが、当夜宇野次長の登庁を促したのは判示のとおり被告人阿部であり、又同被告人としては右庁舎西端出入口で出会つたのが、当夜最初の機会であつたのであるから同被告人から宇野次長に対し何らかの挨拶があつたと解するのが合理的であり、被告人阿部の供述するような趣旨の発言があつたと認められるが、前述したとおり宇野次長及び吉岡庶務係長は被告人小松、今野一男、江戸千代士から中島の宿泊について何等の話し合も受けていなかつたのであるから被告人阿部の発言をその適確な意味を把握することなく単なる挨拶として聞き流して仕舞つたと認めるのが相当である。そして右の経過及び被告人阿部、証人江戸千代士の供述を綜合すれば、被告人阿部は食堂を立去り庁舎西端出入口に到る間に江戸から伝えられて中島輝子が当夜被告人小松と共に寮内に宿泊するであらうことを認識していたことを認めることができる。もつとも証人今野一男の証言中には中島を寮内に泊めることは調査員の全員が知つていた旨の供述が見られるのであるが、如何なる事情でこれを知るに至つたかについての証言がないばかりか、同証言の他の部分では食堂で中島が考えさせてくれと言つたので調査員の全員ではなかつたが中島を寮に泊めた方がよいのではないかと話し合つた旨を供述するのであつて、証人中島輝子の尋問調書、証人下山和子の各証言によれば中島が一人にしてくれと言つたのは中島が階下六区室に移動させられる直前であつたと認められ、その頃は判示のように調査員は解散し、被告人阿部は食堂にいなかつたことが明らかであるから証人今野一男の証言中調査員の全員が知つていた旨の供述部分は真実性に乏しく採用できない。
検察官は被告人阿部が前示のとおり江戸千代士から伝えられて中島輝子が当夜被告人小松と共に寮内に宿泊するであろうと認識していた事実と、証人中島輝子、同木下清一の各尋問調書、同証人及び証人今野一男の各証言を綜合して認められる次の事実、すなわち同夜午前二時頃木下清一外二名の援護局職員が第二寮六区室において中島輝子を発見し同女を連れ戻そうとした際、被告人小松、今野一男が交々被告人阿部の諒解を得なければ中島を渡せないと拒否する態度に出た事実から推して、被告人阿部が中島輝子の寮内宿泊について被告人小松等と意思の連絡があり共謀していたと推定される旨主張し、この推論は一応理由がないでもない。しかし既に認定したとおり食堂における中島輝子に対する調査は大会の決議に基くものであり、大会の終了に伴つて調査も打切られた経過に徴すれば被告人阿部が調査打切によつて自己の任務は終了し、爾後の処理は帰国者代表の手によつてなさるべきであると考えた旨の被告人阿部の供述も亦一応の合理性が認められ、それ故にこそ被告人阿部は自己が旅館に帰るについて被告人小松、今野一男に何らの連絡をもしなかつたとも解せられるのである。被告人小松、今野一男が前示の如く木下清一等に被告人阿部の諒解を得なければ中島を渡せないと述べた事実も判示のとおり同被告人が帰国者代表と宇野次長との交渉を仲介し、又当夜大会場においても講演をなし食堂においては援護局職員の押田、吉岡両名に応待し、調査打切りの近くには中島輝子に対し積極的に質問を行つた等の行動及びその大学教授としての地位等から大会場及び食堂を通じ帰国者、来賓のみならず中島輝子からも特殊の存在と見られその発言も大いに説得力があつたため、被告人阿部自身の気持にかかわりなく被告人小松、今野一男等が同被告人の指示を仰ぎたいと考え右の発言をしたと解する余地もあるのである。もつとも被告人阿部の検察官に対する十一月七日附供述調書中には中島輝子を寮内に宿泊せしめるについては大会の決議により翌朝援護局側と交渉するまで同女を寮内に留めて置くことに定められたため、被告人阿部は右の決議に従うよう帰国者調査員に指示した旨の記載が認められるが、大会場において右の如き決議があつたことは他の凡ての証拠によつても、これを認め得ないばかりか却つて証人下山和子、同今野一男の証言を綜合すれば、中島の寮内への抑留は被告人阿部が食堂を立去つた後、第二寮階下六区室附近で今野一男、被告人小松その他帰国者等が相談し決めたものと認められるのである。のみならず右検察官調書中、被告人阿部の行動に関する部分は同被告人が終始帰国者、来賓等を指揮指導していた趣旨の供述記載が見られ、しかも被告人阿部自身が宇野次長に対し中島の問題を報告した旨の全く誤つた事実の供述記載も認められるのであつて、このことは第四回公判調書中、被告人阿部が宇野次長に対し帰国者が中島輝子を寮内に宿泊させるといつているから諒承して欲しいと告げた旨の同被告人の供述記載の内容が、証人宇野末次郎の証言と対比すれば正確性に乏しく後に同被告人自らその趣旨を訂正するように記憶の混乱ないし思い違いに基くもののあることが認められるのみならず、同被告人の右の供述は帰国者等を庇護しようとし意識的に自らを本件の主導的立場において供述したことが窺われるのであつて、同被告人の検察官に対する供述調書中前記中島輝子の抑留についての供述記載能力も亦そのような趣旨においてなされたと認めるのが相当であり、これを本件の有力な証拠とすることはできない。そして本件において罪となるべき事実は被告人小松、今野一男等が被告人阿部が旅館に帰つた後中島輝子を六区室に宿泊させ抑留した事実であることは判示のとおりであるから被告人阿部に対し右の事実につき刑事責任を問い得るためには同被告人が被告人小松、今野一男等と共犯の関係に立つことが認められなければならないのであるが、前段説示により明らかなように同被告人は何ら実行々為を分担していないのであり、又同被告人が当夜中島輝子を寮内に宿泊させることにつき被告人小松、今野一男等と共謀したことを認めるに足る証拠も何ら存しないのであるから共謀共同正犯としての責任を問うこともできないと謂わなければならない。
一、罪となるべき事実につき
前記各証拠によつて認めた事実又び証人中島輝子(第一、二回)、同木下清一の各証人尋問調書、証人中島輝子(第六回、第三十回公判廷)、同木下清一、同吉岡幸成、同津島一江、同石黒尚、同平岸隆、同今野一男、同下山和子、同宮川純の各供述並びに裁判所のなした検証調書を綜合してこれを認める。被告人小松が中島輝子を宿直室に宿泊させるについて吉岡庶務係長から明確な承諾を得ていなかつたことは、既に認定した被告人小松等と宇野次長との交渉の経過に徴し明らかであり、又翌朝の援護局との折衝に中島を立合せたいとの意見が帰国者等の間から出ていたことは証人今野一男の証言中そのような話し合があつた旨の供述及び証人木下清一の尋問調書、同人並びに証人吉岡幸成、同津島一江の各証言によつて認められる次の事実、すなわち被告人が庁舎二階で中島輝子を援護局総務課長津島一江等に引渡す際、明朝援護局と会見する席に同女を立会せるよう求めた事実とを綜合して認め、又被告人小松、今野一男、その他の帰国者等が中島輝子を同夜第二寮六区室に宿泊させ翌朝まで抑留しようと共謀した事実は叙上認定の事実及び後記認定の、被告人小松が食堂並びに第二寮六区室において中島に対しとつた行動のほか、証人今野一男、同下山和子の証言を綜合して認める。被告人小松は以上の点に関し同被告人が当夜六区室において前記木下清一等に対し、被告人阿部の諒解を得なければ、中島輝子を渡せないといつたこと及び庁舎二階において右津島一江等に対し翌朝援護局との会見の席に中島を立合せるよう要求したことを否定し、又被告人阿部が宇野次長と共に旅館に帰つたことは今野一男から聞いて知つていた旨供述するけれども、前記認定の経過に照し到底措信できない。次に中島輝子が食堂から六区室に連れ込まれた経過及びその後木下清一等に発見されるまでの事実については証人中島輝子の尋問調書(第一、二回)、同証人(第六回公判廷)及び証人今野一男、同下山和子、同宮川純の各証言並に当裁判所のなした検証調書を綜合して認める。証人今野一男、同下山和子、被告人小松は中島輝子が食堂から六区室に至る際及び第二寮東端便所に赴く際のいずれも同被告人が中島の手又は腕を取つたことを否定し、又何人も同女を監視していなかつた旨の供述をするけれども証人中島輝子の証人尋問調書中右の事実に関する供述記載部分は具体的であり、証人平岸隆の証言によれば、同証人が木下清一等と共に六区室に赴く直前単身同室を巡視した際西側出入口附近で帰国者の誰何を受けたことを認めることができ、又証人今野一男は中島及び被告人小松が便所に赴いて再び六区室に戻つた後も同人及び調査員数名が六区室に残つていた旨供述し、なお証人木下清一の尋問調書、同人及び証人石黒尚、同平岸隆の証言により明らかな如く被告人小松が中島輝子を木下清一等に連れ戻された際、六区室から庁舎二階までその腕を抱え込んで放さなかつた事実に照せば、右証人今野、同下山、被告人小松の前記供述部分はいずれも採用できない。更に同夜午前二時頃木下清一外二名が中島輝子を発見し、その腕を抱えて庁舎二階まで誘導した事実は証人木下清一の尋問調書、同人及び証人石黒尚、同平岸隆の各証言を綜合して認める。そして被告人小松がその際木下清一等に対し被告人阿部の諒解を得なければ中島を渡せないと主張し、同女の腕を抱え庁舎二階に到るまで放さなかつた事実及び同被告人が庁舎二階において津島一江等に対し中島を翌朝援護局との折衝に立会わせるよう要求した事実は前段認定のとおりであるから、以上各事実を綜合すれば被告人小松は今野一男等と共謀して中島輝子の身体の自由を拘束し抑留を続けたことは明かである。
よつて判示事実はその証明十分である。
(訴訟関係人の法律上の主張に対する判断)
右認定の事実に対する検察官、被告人及び弁護人の法律上の主張につき判断すると
検察官は被告人阿部が同日午後九時頃大会場演壇後方において中島輝子の腕を捕えたとなし、その行為は、被告人両名を含む調査員等が共謀して中島を逮捕監禁した事実の着手行為であるとし、爾後中島が木下清一等によつて六区室から救出されるまで右監禁の行為が継続したと主張し、弁護人、被告人等は中島輝子に対する被告人両名の食堂における行為及び被告人小松のそれ以後の行為はいずれも同女を帰国者等の行き過ぎな行動から保護する目的でなされたものであるから、逮捕監禁の構成要件に該当しないと主張するので検討すると判示の如く、被告人両名が他の調査員と共に中島輝子を質問するに際し、その間食堂東側出入口には見張員が立つて帰国者以外の者の食堂えの出入が制限されていたこと、同夜午前一時頃被告人小松が今野一男その他の者と相談して中島を大臣室に連れ込み中島の後方に下山和子と共に横になり、数名の帰国者が畳上に座つて監視に当り、又中島が便所に赴く際も被告人小松及び帰国者の一人が両側からその腕を抱える等同女の自由な行動を制限し、午前二時頃木下清一等が六区室に到つた際も中島の腕を抱え込んで引渡に応せず庁舎二階に到るまでその腕を放さなかつたこと、又同所で援護局職員に対し中島を翌朝の援護局との交渉に立会せるよう要求したこと等の事実に徴すれば、中島に対する両名の食堂における、又被告人小松のその後の行為は中島と外部との自由な接触を制限し、これを抑留して監禁状態においたものと謂わざるを得ない。そして被告人阿部が同夜九時頃中島を促して食堂に導いたことは既に判示したとおりであるけれども、被告人両名が帰国者と共に中島に対する調査を行うに至つたのは二区室における帰国者大会の決議に基き同被告人等がこれに参加するよう依頼されて同意したためであり、しかも当時中島は午後八時三十分過頃既に帰国者数名によつて逮捕され、演壇前に突き出されて行動の自由が制限された状態にあつたことも亦明白であるから、被告人阿部が中島を促し食堂に導いた行為及び被告人両名のその後の行動は右帰国者数名による中島の逮捕行為によつて開始されその後継続して行われた監禁状態の一部に加担したものとして理解すべきであり、従つて右帰国者等のなした逮捕監禁の行為の法的性質を検討することなく、単に被告人両名の行為のみを分離し直ちにその違法性、有責性を論ずる検察官の主張も亦にわかに採用できない。
弁護人は右帰国者数名による中島輝子に対する逮捕及びこれに続く監禁の行為は、同女が当夜非公開を宣せられた後も大会場に留り議事の経過を筆記する等所謂スパイ活動を行つたため、かかる違法な行為に対し帰国者等が自己の集会、結社、思想、討論の自由に関する権利を防衛するためなした正当防衛ないし緊急避難行為であると主張する。
そして判示の如く中島が非公会の宣告された後も大会場に残留し、被告人阿部の講演、総代表今野一男の交渉経過報告を筆記していたことは所論のとおりであり、又逮捕された後演壇前の調査の結果同女が中国に抑留されている戦犯者或いは帰国を延期された者の氏名等を調査したと認められる記載のあるメモ帳及び援護局職員であることを表示する腕章をズボンポケツトに隠匿していたことも明らかであるから、仮令同女が政府当局の命を受けたスパイであつたとの事実は結局これを認めるに足る証拠がないけれども、当時官憲による思想調査、中国軍事情報調査を極度に嫌悪警戒していた帰国者及び被告人両名が同女を目して官憲のスパイと信じたことは当然であり、その点何等の過失も認め得ない。しかし正当防衛は現に行われている違法な法益侵害行為に対しこれを防衛するため行わるべきものであり、過去になされた侵害の回復のため、又は将来の侵害の予防のための行為を許容するものではない。そして本件につき考察すれば判示の如く中島は大会場を退去しないでいることを帰国者の一人に発見されて、それまで続けていた帰国者総代表今野一男の交渉経過報告の筆記を中止したことは明らかであり、又帰国者等も発見の当初は単に右の不退去の事実を認識しただけであるから中島が発見された後は同女の帰国者に対する法益侵害行為としては、大会場からの不退去の事実が継続しているに止り、これに対する防害行為としては同女に更に退去を命じ、又はこれを強制し得るに過ぎないものと解せられる。
従つて本件の場合を目して直ちに正当防衛とする見解は採用することができない。又緊急避難は正当な行為による現在の危難を避けるため已むなくなされる行為を謂うものであるから本件の如く中島輝子の不正な法益侵害行為に対する反撃行為が緊急避難を以て論ぜられないことは明らかである。
弁護人等は被告人両名を含む調査員によつてなされた食堂の行為は帰国者大会の進行を確保するためなされた自救行為であると主張する、しかし自救行為とは既に侵害された権利を回復するにつき官憲の救済を待つことができない緊急の場合に自らこれを回復するために行う行為を謂うものであり、従つてその本質上自力によつて救済され得る権利、すなわち原状回復を可能にする権利に関してのみ許容されるものと解すべきであるが、本件の如く中島の非公開宣言後の違法な行為により侵害された帰国者の集会、結社、思想表現の自由に関する権利は中島が発見された当時既にこれを原状に回復することは不可能であつたのであるから、これに対し自力救済の観念を容れる余地がなく、弁護人等の主張は結局理由がない。
更に弁護人、被告人両名は被告人両名の中島輝子に対する行為は同女の同意又は少くとも黙示的ないし推定的承諾の下になされたものであると主張する。しかし判示認定の経過、特に中島が調査員の質問に対し殆ど応答せず、約三時間の説得の末漸く大会場に残留し、前記メモをした理由を述べたこと及び階下六区室に赴く際これを拒絶したこと等の事実に徴すれば中島が右の調査ないし六区室の宿泊を黙示的にも同意又は承諾したとは到底認められず、又押田敏一が食堂に入り被告人阿部と面会した際も調査員に取囲れていた当時の状況に照せば証人中島輝子の証言に明らかな如く右押田に救援を求めても容易に同所から解放される事情にあつたとは解せられず、又六区室において木下清一等に発見される前も被告人小松及び下山和子が後方に横になり、帰国者数名が畳上に座つて監視を続け又便所に赴くについても被告人小松等から両腕を抱えられた状況に徴すれば右同様同所から逃げ出し得る事情にあつたとは解せられないから、中島が右の行動に出なかつたことを以て推定的承諾があつたとも認められず、弁護人等のこの点の主張も亦採用できない。
(当裁判所の見解)
既に述べたとおり帰国者数名が同夜八時三十分過頃第二寮二区室の大会場において中島輝子を捕えた事実は逮捕の構成要件を充足し、更に同女の身分、不退去の理由を調査するため演壇前に突き出し同所で調査した後大多数の大会参加者の同意の下にその調査を十数名の調査員によつて食堂で行わせることとし、同室における調査の間及びその後階下六区室において木下清一等が中島を発見しこれを連れ戻すまで同女を抑留した事実及び被告人両名が右食堂における抑留に加担し、更に被告人小松がその後の抑留にも加担した事実は一連の監禁の構成要件に該当し形式的に違法性の存在を推認せしめるものであることは明らかである。しかし行為の違法性はこれを実質的に理解し、社会共同生活の秩序と社会正義の理念に照し、その行為が法律秩序の精神に違反するかどうかの見地から評価決定すべきものであつて若し右行為が健全な社会の通念に照し、その動機目的において正当であり、そのための手段方法として相当とされ、又その内容においても行為により保護しようとする法益と行為の結果侵害さるべき法益とを対比して均衡を失わない等相当と認められ、行為全体として社会共同生活の秩序と社会正義の理念に適応し法律秩序の精神に照して是認できる限りは、仮令正当防衛、緊急避難、ないし自救行為の要件を充さない場合であつても、なお超法規的に行為の形式的違法の推定を打破し犯罪の成立を阻却するものと解するのが相当である。本件につき考察すると前示のとおり当夜帰国者大会が開始された後司会者が非公開を宣言して帰国者及び来賓を除く部外者の退席を命じ、現にそれらの者は退場したに拘らずなお大会場に残留してメモをとつていた中島輝子に対し、その身分、不退去の理由を問い、同女が逃げ出そうとしたのに不審を抱いてこれを捕え、司会者の前に突き出し司会者等が更に右の事情を尋ねる行為、及び同女がこれらの質問に全く返答しないばかりかズボンポケツトに両手を入れ紙片を揉み破るような仕草を続け、再三要求されて漸く自発的に出したメモ帳に大会経過の内容のみならず他に種々不審な記載があり、更に被告人小松が取出した腕章には援護局職員であることの表示が認められる等外形上同女が援護局職員として帰国者の行動を監視しその思想行動を調査しているものとの疑惑を深められた結果引続き右の不審な行為を質問する行為、そして大会場においてその本来の議事を進行させ同時に中島に対する質問を比較的平穏な方法で効果あらしめるため隣室食堂で少数の調査員を以て行う行為は、その目的が帰国者の思想表現の自由に対しなされた侵害を回復する手段を発見し、併せて将来予想される同種の侵害を防止する対策を講ずるため、不審の点をただして疑惑を闡明しようとするものであり(この点は判示の如き中島に対する調査究明行為の経過及び翌日次長室において交渉した事実に徴し明らかである)、且その手段としての質問は終始説得的で暴力を振うことなく、ただ中島が右いずれの場所においても殆んど自発的な応答をしなかつたため抑留の時間が延引し、しかも中島が同僚から依頼されて大会場に残留し、且メモをしていた旨述べて後間もなく調査を打切つた事実の経過を併せ考えるならば、その目的において正当であり、手段方法も亦相当と認められ、その内容としての抑留もそれにより中島輝子に対し加えられた身体の自由の侵害は、同女によつて帰国者等が受けた集会、結社、思想、表現等の自由の侵害の程度に比し未だその程度を越えるものとは認め難く全体として相当と認められるから前に弁護人等の主張に対する判断の際に述べた如く、右の行為は正当防衛、緊急避難ないし自救行為のいずれにも該当しないけれども前記実質的違法性判断の基準に照し現在の法律秩序の精神に違反せず是認される行為と認められ、右の限度において帰国者等及び被告人両名の行為の違法性を阻却するものと解すべきであつてその根拠は窮局するところ刑法第三十五条にこれを求めるのが相当である。
しかし右の如く不十分ながら一応調査の効果を挙げた以上は、直ちに中島輝子を解放すべきであり、特に深夜であり、又同女が援護局々員であることを考えれば、次長以下の職員に同女の身柄を託し帰宅させる等適宜の処置をとるべきであつたと認められるから、その後同女を更に六区室に連行し、同所に抑留し続ける行為は前記許容される相当の程度を超え、法律秩序の精神に違反して実質的にも違法性を具有するに至つたものと解すべきである。そして被告人阿部については前示の如く中島を六区室に移動させ同所に抑留した行為について被告人小松、今野一男等と共謀した事実はこれを認めるに足る証拠がないのであるから、同被告人の罪責については同被告人が中島に対する調査を打切つたまでの行為について論ずるの他なく、従つてその行為は前示の如く実質的に違法性を欠くものと判断される。又被告人小松の行為も右の限度においては同様に解すべきであるが、同被告人が更に帰国者等と共謀し中島を食堂より六区室に連行し、午前二時頃まで同所に抑留した行為は右違法阻却事由の過剰行為と認めるのが相当である。
検察官の主張は被告人阿部が被告人小松その他の者と意思連絡の下に中島輝子を促し、大会場から食堂に導いた行為及びその後被告人阿部、同小松が他の者と共同し食堂において中島に対する調査質問を行つた行為を以て逮捕監禁の実行が行われたと解し、従つて仮令被告人阿部は被告人小松その他の者が中島を階下六区室に移動させ同室内に抑留した行為の実行に加担しなかつたとしても、寮内に同女を抑留することの認識があつた以上、右六区室における同女の抑留についても責任を免れないとするにあるものの如くであるが、右の主張は被告人阿部、同小松の行為を帰国者等が中島に対しなした逮捕監禁の行為から分離し、当夜の中島に対する究明行為の主体が帰国者等であることを無視し、しかも被告人阿部、同小松の食堂における調査質問行為が監禁の構成要件に該当することから直ちにその違法有責性を推断し、その実質的違法性の検討を怠つた嫌があるものと謂わなければならない。
弁護人は被告人阿部、同小松の行為が帰国者等による中島に対する一連の逮捕監禁行為に途中から加担したものと主張し、大会場及び食堂における究明行為の実質的違法性の欠除を衝く点においては正当であるけれども、六区室における中島の抑留の事実については単に黙示的ないし推定的に承諾を違法阻却事由として主張するのみであつて、前記の如くその主張が採用できないものである以上、被告人小松の六区室における中島に対する抑留の事実についての過剰行為としての責任はこれを認めざるを得ない。
(法令の適用)
法律に照すと叙上説示したとおり本件公訴事実中、被告人阿部、同小松が昭和二十八年五月十七日午後九時過頃援護局第二寮二階第二区室の帰国者大会の席上、江戸千代士等と共謀の上、被告人阿部において中島輝子を同大会場から隣室食堂に導き、被告人両名及び江戸千代士等十数名で交々同女に質問し、同夜午後十二時過頃まで同女を同室に抑留した事実は形式上刑法第二百二十条第一項、第六十条に該当するが、前段説示の理由により実質的に行為の違法性を欠くから同法第三十五条に従い罪とならず、又被告人阿部については、被告人小松が他数名と共謀し中島輝子を右食堂から六区室に連行し、同所に抑留したとの判示罪となるべき事実につきその犯罪の証明が十分でないから結局被告人阿部に対しては刑事訴訟法第三百三十六条に従い、無罪の言渡をすることとし、被告人小松については判示罪となるべき事実につきその所為は刑法第二百二十条第一項、第六十条に該当するが、過剰行為としての責任を問うべきであるところ、被告人小松の右の所為は前に説示したとおり中島輝子の違法な侵害行為に対し、その侵害回復の手段と将来の対策を講ずるため疑惑を闡明しようとして開始された帰国者等の調査行為に加担した結果、その程度を超えて惹起されたものであるから、同法第三十六条の正当防衛の要件を充すものではないけれども、なお同法条第二項の趣旨を準用してその責任を定めるのが相当と解する。そこで犯情につき考察すると、被告人小松は前記のように過剰行為についての責任を問われるものであること、又その抑留の時間は約一時間であり、その間同女に対し脅迫等を加えた事実はなく却つて婦人帰国者の間に寝具用の毛布を敷き、就寝を促す等の処置をとつたばかりか、もともと本件は被害者である中島の違法行為に端を発したものであり、被告人小松の本件所為は前示のように帰国者によつて開始された中島に対する抑留に被告人小松がこの成り行き上加担したものであるに拘らず、今野一男を初めその中心となつて行動した帰国者は勿論、被告人同様の行動に出た江戸千代士、芳賀沼忠三、下山和子に対しては訴追が行われず、又政府とはその方針を異にするとは云え中国からの集団帰国を促進し、それに尽力した被告人両名のみが特に起訴されている事情等諸般の情状に鑑みれば、本件起訴は公平を失し、被告人小松に対しこの際刑を科するの要を認めないから、前叙のように同法第三十六条第二項の規定を準用し同被告人に対し刑を免除することとする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岸盛一 裁判官 目黒太郎 裁判官 千葉和郎)